発達障害が毒親から離れ、幸せになるまで

なんとなく、Twitterでキャリアについて呟いたら自分の半生を振り返りたくなってきた。

振り返って見ると、自分はめちゃくちゃ運が良かったんだなと思う。

 

これまで自分の身に降りかかっていたことをなかなか話せなかった。

まぁ端的にいえばトラウマがあって言語化できなかった。

 

「この人なら聞いてくれるかもしれない」という希望を持ってかつての恋人に打ち明け話をしたこともあったけど、その時は受け流されてしまって、なんだかひどくがっかりしてしまった過去がある(その時は多分「つらかったんだね」と言って欲しかったんだろう)。

 

文章なら、とりあえず言いたいこと、書きたいことを投げておけばいい。

反応を気にしなくて済む。

 

以下、ちょっとエグいことを書いているので、私の過去を読みたくない人はここで立ち返ることをお勧めします。大丈夫、誰も文句は言わないから。

 

 

 

他の人がどれくらい人生を振り返っているのかを知らない。

ひょっとすると振り返ることはすごくダサいことなのかもしれないけれど、事実を事実として記録しておくこと、現象の傾向を掴むことはとても大切なことのように思える。

と言うか、そうせざるを得ないなーと思ってしまう動画を見た。

 

高須クリニックの院長がInstagramから質問を受け付け、回答する動画だ。

質問はなにも美容整形に関わることだに限らず、政治や経済についての質問も多い。

時には人生相談のようなものが織り交ぜられていて、とりわけこの動画がグサっと来た。

 


自分を虐待してきた父親が死ぬほど嫌いです。私はどうしたらいいですか?

 

タイトルがすごい。

「自分を虐待してきた父親が死ぬほど嫌いです。私はどうしたらいいですか?」と言う質問。

 

記憶を頼りに概要を説明する。

 

質問者は両親と同居している。

父親はギャンブル依存症でギャンブルのために生活費も奪われていくような状況。質問者は性的暴行も受けている。母親は泣くばかりで状況が好転する見込みがない。

父親が死ぬほど憎い。どうしたらいいのか、というすごい質問。

恨みが質問文から溢れていて、それを読み上げただけで高須院長が眉間にしわを寄せている。

 

誰だってこんな反応をするのかもしれないけれど、私もこんな家庭環境と遠からずという感じだった。過去の日記に恨みや呪いの感情が多いのは、まぁ根本的に父親への恨みが根元にあるのだと思う。

 

lyrisist-lily.hatenablog.com

 

しかしながら、私が運が良かった点がいくつかある。

まず第一に、中学生の頃、父親がすい臓がんで死んだことだ。

ローンはなくなり、DVは消え、保険金と遺族年金が手に入った。

たまたまゆるい校風の中高一貫校にいたので受験勉強もなく進学・卒業することができた。

東京の私大でも学費免除のところであれば進学はできるし、地方国公立であればなおさらだった。

 

(恥ずかしながら発達障害で学校にうまく馴染めず、成績も後ろから3番目くらいだった。

高校は退学してマイペースに通信制の高校にしようと思っていたけれど、これは母親が許さなかった。もっとも通信制の高校にしていたら卒業できていたかかなり怪しいので、母親の判断は正しかったと思う)

 

それとまた幸運なことに母親は英語の教員免許を持っていて、私が中学生の頃にも非常勤で働き続けていた。

どのタイミングだったか忘れてしまったが、たしか私が高校生になる頃には母親も常勤になることができ、食い扶持には困らなかった。

 

私自身に関して幸運だったのは、新聞を読む習慣があったことだ。*1

 

日経には女性のキャリアに関する記事がよく載っていたので「食いっぱぐれないためにどうするか」、生存戦略を練るのに十分だった。

高校3年になって受験モードに切り替わると、ようやくやる気を出してサボってきた勉強を取り返した。私大でも合格圏内に入ることはできたが、地方国公立を志望していたので科目を絞ることができなかった。センター試験で大コケしてしまって地方国公立には行けず、結局浪人することに。

 

 

浪人生活でも、幸運をつかんだ。

自己学習型の個人塾に通い、恩師に出会うことができた。

 

この日記に出てくる「恩師」がそうだ。

lyrisist-lily.hatenablog.com

 

恩師からは学習指導だけじゃなくて、勉強の仕方そのものを教えてもらった。

学習計画の立て方、進捗管理の仕方、などなど。順調に勉強は進み、秋には大学別の模試で生成優秀者に載るほどになった。

とはいえ、この頃に認知症になった祖父から「女が大学行くんじゃねー!!」と毎日何度も詰められるようになってストレスで食事を吐くようになった。心療内科に行き、服薬しながら勉強を続けた。

私立は小論文と細かい歴史の知識が必要な慶応の文学部を受けるかどうか迷っていた。恩師に勧められて解いた過去問が凄まじかった。

アラブ文学者の岡真理さんの文章、タイトルは『「戦争」の対義語としての文学』。

ここには設問を載せておく。本文はhttps://www.iwanami.co.jp/magazine/#shiso から思想2006年第9号 No.989のバックナンバーで見れるはずなので、気になったら読んでみて欲しい。

設問1  筆者は、「包囲されたサラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を上演すること」をサルトルの「アフリカで子どもが飢えているときに文学に何ができるか」という問いに対する「一つの、根源的な応答にほかならなかった」と考えている(傍線部①)。

それはどのような理由によるのか、一八〇字以上二〇〇字以内で説明しなさい。


設問2  第二次世界大戦時にみずからのユダヤ的出自のゆえに亡命を余儀なくされたドイツ人哲学者テオドール・アドルノは、みずからの体験と多くのユダヤ人を襲ったはるかに苛酷な運命をふまえて、「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」と述べた。

これとは対照的に、筆者は「「アーミナの縁結び」も「ヘールシャム」も、アウシュヴィッツ、そしてヒロシマへの応答でもある」(傍線部②)と述べている。

両者をふまえて、文学は「「戦争」の対義語」 たりうるかについて、四八〇字以上五二〇字以内であなたの考えを述べなさい。

(設問2に登場する「アーミナの縁結び」「ヘールシャルム」は空爆にさらされた中で執筆するパレスチナ人作家・ナスラッラーの作品を指す)

サルトルの「飢えたアフリカの子ども達にとって文学は何ができるのか」、そしてアドルノの「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」という言葉に対し、岡真理は空爆の最中でも執筆するナスラッラーを引いて、アウシュヴィッツヒロシマへの応答であると主張する。

そして文学は戦争の対義語たりうるのかを受験生に論じさせるという、ものすごーく骨太な問題だ。結局私はこれで「(この小論文を解くのが)無理でしょ」となって、慶応の受験は諦めた。

 

そして2度目のセンター試験を受け、私はまたしても大コケする。

マークミス、飛ばし読み、解く問題を間違える…

発達障害のパレードのような二日間だった。

 

それでもなんとか二次試験で挽回できる大学を探して、阪大外語に合格。

東京の私大学にも受かったけど「お笑いが好きだから」という自分でもよくわからない理由で大阪へ。副専攻でアラビア語を選択し、ボコボコにされながらも卒業することができた。

 

 

 

大学生活のこと、就職してからのことももっと書きたいけれど、眠くなってきたのでこの辺で。

就職してから病気になったり異動したり入院も転職もしたけど、ここは自分の中で整理できてるので、書かなくてもいいかなーとも思う(整理できていなかった過去を整理するのがこの文章の目的なので、一応達成されたことにしておきたい)

ここまで「理解のある彼くん」は登場しませんでしたが、とりあえず今、私は幸せです。

読んでくださってありがとうございました。

ではでは、おやすみなさい。

 




 

 

 

*1:高校を卒業するまでは学校から祖父母の家に帰宅していた。祖母が株をやっていて、日経を毎日読んでいた。それに釣られて私も読んでいた。新聞を広げると猫が乗っかってきて嬉しかった