魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

透明な意志

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『ロリータ』で知られているロシアの作家・ナブコフの『透明な対象』を繰っていたら、こんな節に出会った。

ちょっと出来の良い(が故にこんがらがってしまう面倒な)人間をメタ的に描くのが上手い作家だと思う。

 

あれこれと退屈な方法で生活費を稼いだが、それは、特別な才能とか野心がなく、頭脳のほんの一部だけを単調な仕事かうさんくさい仕事に使うことに慣れてしまっや頭のいい若者が陥りがちな道だった。

他のもっと大きな部分はどう使うのか、本当の夢想や感情はどういう形でどのあたりに宿っているのかは、まったくの謎といわけでもない

――今ではなんの謎もない――ただそれを解明し暴露しようとすると、とても直視できないほど悲しくて、恐ろしいのである。

 

ナブコフ『透明な対象』

 

ここで描かれている「謎」、というのは言葉の沼地のようなものだ。

冷たく鈍く淀んでいて、一度踏み入れてしまうと身動きがとれなくなってしまう。

「不安感」と言い換えてもいいかもしれない。

不安/明晰さとは何なのか

不安、というのは未来に対して何らかの不足感のある状態のことだと思っている。

時間が過去・現在・未来と流れるものだとして、現在以外のものに意識が向けられている時、人はメランコリーや漠然とした不安に陥る。

ナブコフは『透明な対象』の冒頭で未来というものを言葉の彩、思考の亡霊でしかない

と言ってのけている。

もし未来が、優れた頭脳なら認識できるものとして、具体的かつ個々に存在するなら、過去はさほど魅力的ではなくなるだろう。

…未来というのはそうした(思い描かれる過去と認識される現在が持つような)現実性を持たない。

未来とは言葉の彩、思考の亡霊でしかない。

未来は本来、現実性を持たない。

例えば「将来は仕事でこんなことしたい」という未来像があったとする。

だけど、この未来像は「他人にこう見られたい」って願望を反映してるだけなのかもしれない。

自分の未来像が明晰であればあるほど、その源泉はどこかのコマーシャルを引っ付けたものだったり、上司の期待を反映させただけの代物のような気がしてくる。

 

目標設定をするときは「より具体的で定量化しやすいこと」が求められるけど、「明晰であること」はひとつの妄信でもある。

自分の知っている目標や手段に従って生きることは、自分が想定できない説明体系を棄却することになるからだ。

 

意志は自分に裂け目を作る

ナブコフの『透明な対象』では、人間の生と死についての基本的なイメージを下敷きにしているようだ。

  • われわれの個人的な〈生〉とは、われわれの実質が凝縮して固体化した一つの形態
  • われわれは実質としては永遠であり、形態としては有限な存在
  • したがって個人的な〈死〉とは、実質が形態をこえて拡散してゆくこと
  • ふつうの人間の日常生活においては、生はみずからの形態の中に内没し、凝固している(ふつうの人間は、人為的なさまざまな価値を重大なものと信じ込んで執着することによって、生命の集中力を保っている)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)より一部改変)

 

物語には、一人の人間がひとつの形態から解放され、別の存在に移っていく過程が描かれている。主人公は頭が良いが、空想家でフェティッシュだ。

占星術師のように断言することもなければ、戦士のように強い意志を持つ訳ではない。

個体性の彼方にある存在を手に入れようとするとき、それには自分を超える何かを獲得しようとするのには、意志をきたえなきゃいけない。

 

先に引いた真木悠介の『気流の鳴る音』では、この状態を〈コントロールされた愚かさ〉として描いている。

「彼は自分のやることには意味があると言わせるし、じっさいそうであるかのように行動させる」

「〈意志を意志する〉ということであり、目的自体の自己決定性、自己の欲求の主体であることにほかならない」

 自分の「こうしたい」という欲求ではなくて、宇宙の摂理がそうさせた、というような意志。確かにここまでスッパリ言ってのけることができれば、誰もがその行動に納得するだろう。

 

…ここまで書いて、自分は宇宙について、何も知らなさすぎると思った。