魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

笹井宏之『八月のフルート奏者』を読む(2)

 

lyrisist-lily.hatenablog.com

前回に引き続き、歌集を読んでいきましょう。

2006年

レトリックに少し、自覚的になっていく様子がうかがえるのがこの年だ。

 

冬の夜の終わり 人工衛星が季節切りつつ落ちてゆく

 

声に羽根生えてしまうを切り落としくちびるへと伝えゆかん

 

大楠をつらぬく白羽 揺れやまぬ影にふたりという孤独あり

 

日本語が熟れてゆきます うすあかりする古書店の春の詩集に

 

なんといふしづかな呼吸なのだらう蛍の群れにおほはれる川

 

どうしてもかなしくなつてしまひます あなたをつつむあめのかをりに

 

八月のフルート奏者きらきらと一人真昼の野を歩みをり

 

みづうみに沈んでゐたる秋空を十の指もて壊してしまふ

 

われが我としてあるためにみづいろの鳥を胸より放つ十五夜

 

 

私が気になったのは「日本語が熟れてゆきます」「どうしてもかなしくなってしまいます」のように歌の中に「ます」が出てきたこと。

この「ます」というのは日本語の丁寧表現だ。

 

日本語の普通体と丁寧体のちがいは、例えば以下のように述語の位置に現れる。*1

天気が回復した(普通体)

天気が回復しました(丁寧体)

でも、一体「日本語が熟れてゆきます」「どうしてもかなしくなってしまいます」の敬意の対象って何なんだろう?

敬語のレッスン

少し日本語文法の話をさせて欲しい。

敬語表現には、表現の相手に対する敬意を表す「対者敬語」と

表現される事態の中に登場する人物に対する敬意を表す「素材敬語」がある。

【対者敬語】

(1)こちらが入口です。

(2)来週、九州に出張いたします。

 

【素材敬語】

(3)鈴木先生は、いつもお忙しい。(主体「鈴木先生」に対する敬意)

(4)高津さんは鈴木先生をお宅までお送りした(受け手「鈴木先生」に対する敬意)

 この短歌が贈答歌のように特定の誰かに贈られた歌なのであれば「対者敬語」なのだけど、歌集からはそのような対象は識別できなかった。

 

だからおそらく

日本語が熟れてゆきます うすあかりする古書店の春の詩集に

 どうしてもかなしくなつてしまひます あなたをつつむあめのかをりに

 の二首で使われている「ます」は、ここに詠まれている事象そのものに対する敬意なのかもしれない、と思った。

 なかなか面白いレトリックだ。

 

2007年

少し軽快な感じの歌が増える。

手袋の中が悲しき思い出に満たされてゐて装着できぬ

 

月光に水晶体を砕かれてしまひさうなるきさらぎの宵

 

あすひらく花の名前を簡潔に未来とよべばふくらむ蕾

 

どのやうな鳥かはわからない しかし確かに初夏の声で鳴くのだ

 

泣いてゐるものは青かり この星もきつとおほきな涙であらう

 

パチスロの明かりが夜の水田を覆ふ 綺麗と思つてしまふ

 

人生はソフトテニスの壁打ちさ さうつぶやいて風にでもならう

 

この国に夢はあるかといふ問ひに大樹ははつか枝を揺らせり

 

ゆふばえに染まりつつある自転車の夢見るやうな傾き具合

 

 

なぜか2007年の歌の中で、パチスロの歌は特にハッキリと情景を結んだ。

二物衝突――パチスロの明かりと夜の水田

パチスロの明かりが夜の水田を覆ふ 綺麗と思つてしまふ

パチスロと水田の取り合わせって、そもそもシュールな光景だ。「意外な取り合わせ」とでも言おうか。

この「意外な取り合わせ」も手法として一応は確立している。

所謂「二物衝突」と呼ばれる手法で、関連のないように見える二つの事柄をぶつけ合うのが効果を生むとされる。

二物衝突の例として、以下のような俳句が挙げられる。

葬人歯あらわに泣くや曼珠沙華 飯田蛇笏師

この句は歯にフォーカスしたあと、そのバックの曼珠沙華にぱっと視点が広がる。その意外性というか、映画のカメラのような視点の切り替えが、この手法の見せどころだ。

パチスロの明かりが夜の水田を覆ふ 綺麗と思つてしまふ

二物衝突というのは、読者の「この語のあとにはこの語が来るだろう」って期待を良い意味で裏切る手法なのだろう。

この歌であれば、カメラワークとしては「パチスロの明かり」が「夜の水田」に映っている様子が描かれている。これだけでもなかなかシュールなはずなのだけど、その視点を持っている作中人物がふと「綺麗」と言うことで光景として実感が沸く。

巧いと思う。

2008年

だんだんと力の抜けた線画のような歌が増えていく。イメージとしては『クレーの天使』だ。

珈琲の湯気に眼鏡はくもりゆき、そののちみえてくる銀世界

 

太陽の死をおもふときわが死は微かな風を繕ふカーテン

 

夜深くことばの舌を絡めあふやうにしたためる一行詩

 

ゆつくりと傘をたたみぬ にんげんは雨を忘れてしまふ生き物

 

凍らねばならぬ運命(さだめ)を分ちあふ如月 われとわれのみづうみ

 

溢れては止み溢れては止みやがて寂しき井戸として星を見る

 

左手でルームミラーをあはせつつ背後の世界ばかり増えをり

 

たましひが器をえらぶつかの間を胡蝶ひとひら風に吹かるる

 

ほんのりと煤けてゐたが五年ぶりのあいつの羽根はまだ白かつた

 

顔をあらふときに気づきぬ吾のなかに無数の銀河散らばることを

 

葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある

 

咲きそろふマーガレットの微細なる揺れに銀河のしらべを聞きぬ

 

蜜柑の香かをらせながら君の手が吾のくびすぢへ夏を添へたり

 

名を知らぬ鳥と鳥とが鳴き交はし夏の衣はそらをおほひぬ

 

笑ひとは論ではないといふことの鳥居みゆきが振るへるバット

 

哀しみが痛みへ変はる瞬間の途切れさうなる我が蝉の声

 

透けてゆくやうに丸まりたる猫を朝陽の中にそつと掴みぬ

 

 2009年

初春のよろこびなしと言ふひとへ迎へらるるがよろこびと説く

 

波打つ音がフェードアウトしていくように、歌は消えていった。

 

 

八月のフルート奏者 (新鋭短歌シリーズ4)

八月のフルート奏者 (新鋭短歌シリーズ4)