魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』のタイトルが長すぎてちょっと恨む

お笑い芸人、オードリー若林の「世間との距離感を掴めずにもがいている様子」がすごく好きだ。

もちろんオードリーの漫才も大好きなのだけど、若林の簡潔で熱があって、面白い文章もめちゃくちゃ良い。

 

前作のエッセイ集完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)は売れない日々と多忙な日々、両方のエピソードが描かれている。

風呂無しアパートで、精神をひん曲げながらも笑いを求めて生き抜いてきた姿に強く心打たれた。泣けて笑える、サイコーの作品。

 

最新作の『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は一言でいえば若林のキューバ旅行記なのだけど、勿論それに尽きない魅力が詰まっている。

一体若林は5日間のバカンスで何を見てきたのだろう?

 (以下ネタバレあります)

若林はなんでキューバへ行ったの?

タイトルにある「カバーニャ要塞」というのはキューバの中心都市、ハバマにある要塞の名前だ。

 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の冒頭に、旅行のきっかけになったいくつかのエピソードが提示してある。

そのうち、コアになる部分を紹介しよう。

東大院生の家庭教師と新自由主義システム

 若林の疑問は次のような、ごく素朴な疑問をぶつける。

格差社会と言われ始めたのはいつ頃でなぜか?」

「なぜブラック企業が増えたのか?」

「なぜ交際相手にスペックという言葉が使われるようになったのか?」

若林は東大院生を家庭教師として雇って、ニュースに関する疑問について解説してもらっているそうだ。…これらの疑問に対し、東大院生の家庭教師は「新自由主義」という切り口を提示する。

 

競争相手としての他者

ここでの「新自由主義」というのはあらゆる他者を競争相手として機能させるシステムこと。

 

言ってみれば、友人も同期も「競争相手」とするシステムだ。

「やりがいのある仕事をして沢山稼ごう!」というメッセージを含んだ広告塔。若林は売れない時代、部屋にエアコンがなくて圧倒的な敗北感を覚えている。

売れるようになってからも、学校の同窓会で「稼いでるんでしょ?」と振られた時にあたふたと変な空気を作ってしまっている様子。読んでいて背中がじっとりした。

 

 自分よりも稼いでいるヤツ、自分より容姿のいいヤツ…敵を数え上げればキリがない。そうした実感をメタ的にぶった切る視点を得て、若林はものすごいツッコミを入れる。

「ちょっと待って、新自由主義に向いてる奴って、競争に勝ちまくって金を稼ぎまくりたい奴だけだよね?」

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 pp32

 すごい切れ味、すごいメタ・ツッコミだ。

…若林は「新自由主義ではないシステム」を求めて、社会主義の残り香のあるキューバに旅立った。

 

同じ視点に立てるキューバの旅

若林のキューバへの旅は、5日間の長く短いバカンスだ。

現地のガイドとキューバの要所をめぐる。照りつける鋭い日差し、葉巻とモヒート、それからチェゲバラ邸宅…ひとつひとつ、若林は丹念に味わって、最終日には一人でカリブ海に向かうのだ。

馴れない海外の路線バスに悪戦苦闘しながらも、バスから降りた時の光景が、本当に笑っちゃうくらい綺麗なカリビアン・ブルーだった。

写真は若林が撮影しているらしくて、若林と近い目線で景色が見れるのが、ファンとしてとても嬉しかった。

ぼくは思わず「ははははは!」と声を出して笑ってしまった。

なんでだろう、めちゃくちゃ綺麗な海に辿り着けたことがおかしくて仕方なかった。

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬pp158

笑ってしまうくらいに美しい海、というのは神経の拘束バンドを外してしまうのだろう。若林の興奮が素直に伝わってくる。

短い遊泳を終えると、海から帰ってぶらぶらと街を出歩く。

…するとふと、一人でいるはずなのに、どこからか「他者の声」が浮かんでくる。

カストロゲバラが革命をしていなかったら、この道も日本人一人で歩けなかったかな?」

「……そうかもな」

至る所からキューバの陽気な音楽が聞こえてくる。バーから漏れ出した音に乗って手首にビニール袋をぶら下げた80歳くらいの老婆が警戒にステップを踏んでいる。

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 pp178

 

鍵括弧は独り言の描写なのかな?と思って読み進めると、

次の箇所に突き当たる。 

 

本心は液晶パネルの中の言葉や文字には表れない。

アメフトの話や、声や顔に宿る。

だから、人は会って話した方が絶対にいいんだ。

親父に会いたいな。

 

あー、そっか。

家族か。

家族。競争の原理の中で、絶対的な味方。

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 pp193

 

ふと、キューバは、亡くなった親父さんが行きたがっていた国だったと明かされる。

絶対的な味方であった父親が、行きたがっていた国。

 

そうしたエピソードが喪失感や悲しい物語としてではなく、温かい存在を近くに感じられる言葉で描かれる。

 

キューバの街を歩いて浮かび上がってくる言葉は、若林が欲していた言葉なのだろう。

とても温かくて、心地よい色合いだ。

 

 

競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。

 ぼくが求めていたものは、血の通った関係だった

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬pp203)

 

競争相手ではない人間同士が話している時の表情、というのはなかなか見られない。

私自身、気づいたらどこか気を張って対抗意識を燃やしてしまう。

それにそうした、他愛のない表情はきっとすぐに忘れてしまう。

若林はもうそれに気付いていて、だからこそ、そうした素朴な光景を網膜まで焼き付けようと、あたたかい表情をたくさん見てきたようだった。

 

 感想

アドルノを引くまでもなく「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」。

エッセイだってそうだ。言葉と世界を天秤にかけて、ゆらゆらさせられるような世界ではない。

 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は物語としてちょっと綺麗に整い過ぎている気もする。

だけど陰鬱さを言語化して、笑ってもらおうとファイティングポーズをとり続ける若林が大好きだし、疲れ果てて不貞腐れている若林もとても愛おしく思う(たぶん本人は嫌だろうけど)。

そしてなによりも私は、鬱屈した気分の時に若林に笑わせてもらっている。つらい時に笑えると、マジで「希望かよ」って思う。

 

とにかく私は若林の、「選ばれないこと/持たざること」を気にするのなら、「持っているヤツ」に笑ってもらった方がいい、と言い切るスタンスがとても心地良くて、大好きなんだ。

 この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。

 ぼくが求めていたものは、血の通った関係だった。 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 pp203

 

 好きな言葉だ。

 

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬