魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

「言語の科学」とはなにか

今週のお題「テスト」

 

一度受験で失敗してから、こつこつ勉強するようになった。

…というのは間違いかもしれない。

 

大学生になって、人生をかけて追究したいと思うことに出会えたから、勉強するようになったような気もする。

 

今日は自分の専攻である言語学について、書いてみよう。

言葉というのは不思議で、「どうしてそうなっているのか」を知らなくても使うことができる。ちょうど電子レンジの仕組みがわからなくても、お惣菜を温められるように。

 でも、思ったように言葉が使えない経験がある人、言葉が透明なものではなくて、なんらかの壁として感じられる人にとって、言語学はすごく面白いと思う。

以下、言語学とは何かについて、メモを残しておく。

 

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言語学とはなにか

言語学とは、言語に関する科学的研究だ。

ここで問題になる、「科学」について、少し説明しよう。

 

ここでいう「科学」とは近代科学のことで、主に西欧で19世紀までに完成された方法論、あるいは複数の「科学者」といわれる人間の集団の営みの一つを指している。

岩波講座 言語の科学〈1〉言語の科学入門p129

 

同著では「科学」の成立過程について、力学を例に挙げている。

紀元前、アリストテレスは「物体は力を与え続けないと運動を停止する」という一般化を行った。これは一見すると正しい主張だが、この一般化は摩擦のある面上において成立する。

16、17世紀にガリレオは「力が働かない限り物体は現在の運動を続けようとする」慣性の法則を打ち出し、それを1世紀後、ニュートンが一般的な運動方程式に落とし込んだ。

 

このように力学の成立過程では、何人かの天才の発見が不可欠だ。

しかしながら後の時代の人間は、たとえ天才でなくてもこれらの理論を学び、理解することができる。

ここに「科学」の本質的な特徴がある。

 

科学のもつ、このような特徴を分解してみると次のような性質が出てくる。

客観性…科学の対象・方法は特定の人間に依存する部分が小さい

再現性…科学の結果は特定の時間・空間に依存する部分が小さい

普遍性…科学の結果・方法は特定の地域に依存する部分が小さい

 

(同上)p130

 

こうした特徴を持っているからこそ、科学には蓄積性(accumulativity)がある。私のような天才でない人間でも先人の業績を継承し、山を築き上げることができる。

 

逆に言うとエセ社会学のようなエンタメ学問の「エセ」たる所以は蓄積性の無さにある。

そういったエンタメ学問の「筆者独自の観点」「現代社会を斬る」といった煽り文は、上記のような累積性の無さを自ら主張するようなものだ。

 

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対象について

では言語学の対象となる「言語」とは、何を指すのだろうか。

大学生との飲み会で、自己紹介で「言語学を勉強してる」と言うと、だいたい次のような反応を受ける。

シュリーマンみたいなことをやってる」「日本語のルーツを探っている」「色んな外国語を知ってる」…言っておくけど、それはものすごい偏見だ。

 

自分が興味を持っているのは「言語がどのように理解されているのか」に関する仮説の検証で、受け手の印象に残るレトリックとは何か、という研究だ。

 

でもこれはこれでかなり特異な研究なので、

 

もう少し広い範囲で言語研究の対象について見ていこう。

先ほどの科学の定義において、対象と方法と結果というファクターが大切だった。

以下は言語学が取り扱う対象について見ていきたい。

「洋書の本棚洋書の本棚」のフリー写真素材を拡大

 

言語の定義:言語の一般的特徴

 

日本語にも英語にもアラビア語にも当てはまる言語の特徴

というものを挙げていく。

 

 

 

(1)言語は記号である

「りんご」と聞いて赤い果実を思い浮かべることができるが、その果実と「りんご」という音声は何にも関係がない。誰かがあの果実を「りんご」と呼んだから、あれは「りんご」と呼ばれるようになった。

もともと「りんご」とりんごには何の関係がない。

「りんご」という音声が指す対象と「りんご」という音声に関係がないことを「記号」と言える。(仮)

 

(2)言語は音声に基礎を置いた記号である

先ほどの項で「林檎」という音声と赤い果実に関係がない、ということを指摘したけど、手話のように音声がなくてもジェスチャーでりんごを指示することはできる。

あるいは、目の前にあるりんごを指で示すことで「林檎」を示すことだってできる。

このような音声を用いない、身体的な表現も言語に含まれる。

(3)言語は超越性を持つ

先の項で”目の前にあるりんごを指で示すことで「林檎」を示すことだってできる。”と書いたけれど、私たちは目の前に林檎がなかったとしても、「机の上に昨日は林檎があった」と言うことができる。

このように、言語を用いることで過去や未来について語ることができる。

 

蜂のダンスが有名な例かもしれない。

蜂が密を捜して飛び立って、花を見つけると

巣に帰ってダンスをし、仲間に花の在処を示す。

 

これも「超越性」という観点からすると、言語のように感じられるけれど実際はどうなのだろう?

 

(4)言語は創造性を持つ

「蜂のダンスは言語ではない」と言えるのは、言語の創造性と体系性による。

蜂は蜜というインプットがないとダンスをしない。

これは刺激がないと反応しない、ということで、

人間が用いる言語とは、その性質を異にしている。

 

麒麟」のような実在しない存在を創造すること

「孫が全員医者と結婚したおばあちゃん」のような、存在するかもしれないけれど、遭遇したことはないものについて表現できるのは、言語のひとつの特徴だ。

 

(5)言語は構造を持った記号体系である

「構造」というのは、「結びつきについて一定の規則がある」ということだ。

日本語でいえば「ん」で始まる単語はない、とか。

 

日本語で「太郎は花子に本をやった」も「太郎は本を花子にやった」も言えるけど

英語で「Taro gave Hanako a book.」は言えても「Taro a book to Hanako gave」は言えないのはなぜか、とか。

 

前の例だと単語を形成する規則、後の例だと文を形成する規則

といったような、形成に関する規則のことを構造と呼ぶ。

 

蜂のダンスはやり方が決まっていて「俺はHIP HOP流でいくぜ」みたいな

新しい「踊り方」ができるわけではない。だから創造性がなく、したがって言語でもない。

 

(6)言語記号は恣意的である

「進捗だめです」を「ニャオス」と表すことに、必然性がない。

 

(出典:めしにしましょう(1) (イブニングコミックス)

 

 

こんな風に言語を規定していくと、

辞書を作る作業やシュリーマンみたいな作業が言語学ではない、というのはわかってくると思う。

それでも結局、本には「かっちり系」のものと「ゆるふわ系」のものがあって、

ここに書いたことは前者なので、あまり読みたい人が出てこないと思う。

 

それでも私は研究をやりたいと思う人間の端くれで、知識をアウトプットしないと身につかないからこのようなエントリーを書いてみた。

今後もがんばるぞー