魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

穂村弘に言われたことを思い出す

もう2年も前のことだったか。

阪大の大学院のプログラムで「短歌ワークショップ」が開催され、

そこで歌人穂村弘さんが講師に招かれていた。

 

一連のイベントが終わると、

穂村さんの前に『シンジゲート』や『手紙魔まみ』をかかえた大学生の行列ができて、

サイン会のような雰囲気になっていた。

 

当時、どうしようもない位に短歌にハマっていた私は

列の一番後ろに並んで、人が少なくなるのを待った。

 

そして、

僭越ながらも穂村さんに自作の短歌の添削をお願いした。

「私の短歌、よろしければアドバイスいただけないですか?」と言って、自作の短歌が書かれた紙を差し出した。

 

(本当に、本当に僭越すぎたと思う。

当時の自分もわかっていたけれど、熱病のように抱え込んでしまった感情を

どうしようもなく抑えられなかった…)

 

穂村さんは大変サービス精神に溢れた方で、

快く対応してくれた。

 

その時、とてもゆったりとした(少しもにゃっとした)口調で、

一番はじめに言われたことを思い出す。

 

「きみは、この歌で何を表現したいの?」

 

私はもごもごと、当時思っていたことを伝えた。

 

 

最近、疲れて眠れないくらいにへろへろになって

「どうして私はこんなに頑張っているのだろう?」

と思うことがある。

 

そういう時、この穂村さんの言葉が、ふと湧き上がってくる。

「きみは何を伝えたいの?」と。

 

 

私はどうしても、「どうして自分は生きているんだろう」

とかそういうことを考えてしまう人間で、

よく午前二時にこんなことを考え出して、うわー、となったりする。

 

そんな時にお酒を飲んで誤魔化すこともあるけど、

そうしてしまうと状況は大概、悪くなる。

 

だから、最近はきちんとシラフで考えるようにしている。

「違う、逃げるな」と言い聞かせながら。

 

「どうして自分は生きているんだろう」。

 

思うに、社会の中で生きるには対価が必要だ。

無人島で一人で暮らすのでなければ、

何らかのモノやサービスを受けないと、生きていけない。

 

この文章だって、「私」が書いて、あなたに渡しているものだ。

 

冷蔵庫だってアイシャドウだって今私がもたれてる壁の断熱材だって、

どこかの誰かが作ったものだ。

 

どこかの誰かがアイデアを出し、

どこかの誰かが原料を調達し、

どこかの誰かが製造し、

どこかの誰かが私の元まで届けたものだ。

 

そうやって部屋をぐるっと見回すと、私が生きるために、

どれだけたくさんの人から助けられているのかと思う。

 

そして私も、そろそろ誰かが生きる手助けをしたいと思う。

つまりはそういうことだ。

 

目に見える者だけを見て、

聞こえる音だけ聴いてしまうと、

 

どうしても自分のことしか考えられなくなる。

 

だけど人類の進化の過程の先っちょにいる私たちは、

決して自分一人で生きているわけじゃない。

 

これまでの人間の屍の上で、

今生きている人達と助け合いながら、生きている。

 

私が生きているのは、

「ひょっとして私は、誰かを助けることができるかもしれない」

という希望を、捨て切れていないからだ。