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魔法使いに向いてる

円熟と技術と才能に溢れたブログです。

よくないコレ?コレよくない?なくなくなくなくない?【緩叙法】

こんばんは。学徒です。

今日からシリーズでレトリックの紹介と解説をしていきたいと思います。レトリックは自分の専門分野ということもあり、完成度の高いエントリーを書いていくので、ぜひ今後ともよろしくお願いします!

レトリック研究…?

まず、「レトリック研究」って何やねん、というお話からしていきたいと思います。

レトリックは修辞法と訳されるように、言葉を効果的に表現する手法として一般的には受け入れられていると思います。確かにレトリック研究は古代ギリシャが発祥でして、近代までは主に弁論術のためにレトリック研究が進められてきました。

しかし近年の認知言語学の発達により、レトリックは人間がどのように世界を把握しているかを明らかにする学問として脚光を浴び始めます。

少し変わった、それでいて効果的な表現(=ことばのあや)をどのように処理するのか、という課題は現在でも言語処理でめっちゃアツいテーマになっています。

そこで、

プログラミングのエントリーがあるのに、レトリックのエントリーがないのはおかしい!

という若干のトンデモ理論に基づき、今後はレトリックの紹介をしていきたいと思っています。

参考にするのは佐藤信夫『レトリック感覚/認識』(講談社学術文庫)です。

 

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

 

 

 

レトリック認識 (講談社学術文庫)

レトリック認識 (講談社学術文庫)

 

 

この本、すごく面白いんですけど初学者が独学しようとするとしんどいんですよね。

 

基本はもちろん、最新のレトリック研究もチェックしていきますのでkeep up with meしてくださいね~!

 

第一回:緩叙法

さて、第一回に紹介するレトリックはこちら!


小沢健二 今夜はブギー・バック ("DISCO TO GO" LIVE) featuring スチャダラパー

そう、みなさんご存じの「今夜はブギー・バック」小沢健featuringスチャダラパーです。

3:35ごろの「よくないコレ?コレよくない?なくなくなくなくない?」が今回紹介するレトリック、緩叙法でございます!!

なんかもう、みんなで小沢健二聴いてたら幸せになれる気がした…

こんな駄エントリーなんて捨ててしまってダンスフロアに駆け上がりたい…

 

いや…神様がくれたのは甘いミルクハニーだけじゃないんですよ…

神様はね…ロゴスだってくれたんですよ!

 

反義表現を否定する…?

はい、ということで解説を始めます。緩叙法とは一言で言えば「反義表現を否定する」レトリックです。

…と言ってもちょっとわかりにくいですよね。

反義表現というのは「好き」が本当は言いたいのに、その反対の「嫌い」といった反対のことを使う表現です。

「キミのこと、嫌いじゃないわよ」というクールな先輩が本当に伝えたいのは「キミのことが実はちょっと好き」ですよね。

ここで字義通りにこの発言を受け取って「あ、”嫌いではない”程度なのか~まぁ嫌われてなくてよかった~」ってなったら駄目なんです。

そう、このように緩叙法というのは面倒臭いレトリックなんですが…

まぁ、かわいいじゃないですか。

「水分補給が欠かせない水分補給が欠かせない」[モデル:河村友歌]のフリー写真素材

二重の否定

繰り返しになりますが、緩叙法というのは【反対の物事を否定する】レトリックです。

「うれしい」というのを表現したい時、

そのまま表現する(A)。

「うれしい」の反対の「悲しい」を否定する(B)。

あるいは「うれしい」を否定した「うれしくない」を否定する(C)があります。

 

Aうれしい。

Bかなしくない。

Cうれしくないわけではない。

 

論理学的にはA=B=Cとなるはずですが、実際はそうじゃないですよね。

論理学的には「人生は金だ」と「人生金じゃない、ということもない」とは等しいかもしれませんが、実際の感覚だと両者は違うはずです。

「ぐはは、人生は金なんじゃ~」って人がいて、毎日酒池肉林でワッショイしていたとします。

もう一方で「人生は金じゃない」と心に決めて暮らす高潔な人物がいたとしましょう。後者の人物がある日事業に失敗して人望崩壊、妻子にも出て行かれ…となったら「人生金じゃない、ということもないんだな…」と目に涙を浮かべながら思うでしょう。

この(元・)高潔な人物と「人生は金だ」と始めから決めつけている人物、けっこう違いますよね。

 

このように、はじめから「Xだ」と決めつけている場合と「Xではない」と始めから信じ込んでいていたのに、ある日何かに気づいて「Xではない・のではない!」と気づいた場合…意味合いが違ってきますよね。

このように一度否定表現を通ることで、そこに意味の膨らみを持たせることができるんです。こういう認識のアルゴリズムを援用したのが緩叙法、といえるでしょう。

否定にみられる言語の超越性

緩叙法は反対の物事を否定する表現、と言いましたが、

否定というのは実はすごく高度な表現なんです。

そもそも「ない」というのを表現するのって、難しいんですよね?

試しに言葉を使わずに「寝てない」「食べてない」を表現してみてください。けっこう難しくないですか?

 


BUMP OF CHICKEN スノースマイル

 

極め付けはこれ、BUMP OF CHICKENの「スノースマイル」のラスト、

「キミのいない道」!!!!

 

これなんてそれ以外にどうやって表現すればいいんですか!!

歩幅を気にしなくていい道?落ち葉を蹴とばさない道?

いや…「キミがいる道」の要素を取り上げて、それを全部否定しても「キミのいない道」はそれ以外に表現することはできないんですよ!!!!!(なぜか涙目)

 

…ともかく、目の前の物事から独立して表現できるということ(ここでは「ないこと」を表現できるということ)は人間の言語ならではの特徴といえます。

これを言語の超越性といいます。カッコイイので覚えておきましょう。

発見的否定

スノースマイル」の例でみたように「キミがいない」と言うことで「キミがいた」時のことに思いを馳せてしまう「僕」のことを描写できるんです。

こんな感じの否定表現、文芸ジャンルではけっこう使えそうですよね。

実際に中原中也の『在りし日の歌』では「発見的否定」とでも言えるような表現が見られます。

海にゐるのは、

あれは人魚ではないのです。

海にゐるのは、

あれは、浪ばかり。

 

中原中也『在りし日の歌』「北の海」

 この詩は海にいるのは「人魚ではない」としています。

普通なら「海に何がありますか」と聞かれて「海に人魚はいない」とは発話しませんよね。「魚がいます」とか「ウニがとれます」とか、そんな発話をするはずです。

ですがこの詩人は海のなかに「人魚がいるかもしれない」という期待をもって、敢えてそれを否定するんです。読者もそれにつられて浪の間に人魚の面影を探してしまう――という高度な詩情がありますね。

こんな感じで、「本来存在しないのに、そこに存在を探してしまう僕」を表現するのはすごく効果的だと思います。ラストは宮沢賢治春と修羅」から。

おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

宮沢賢治春と修羅」)

ここでは「二千年たつころ」という未来が仮定され、その時点から見た「二千年ぐらゐ前」、すなわち現在には「青ぞらいつぱいの無色な孔雀」がいたのではないか、「透明な人類の巨大な足跡」があるのではないかと未来の学者は思うわけです。

未来というまだそこにない存在から現在を見つめ、そこに「無色な孔雀」「透明な人類」を見てとるわけですね。

目の前に存在しないのにも関わらず、未来の視点を仮想することで、あたかも「無色な孔雀」や「透明な人類」が目の前にあるような錯覚を覚えます。

 

うーん、すごく素敵ですよね。

まとめ

以上、まとめると

  • 反対の物事を否定するのが【緩叙法】
  • 否定は人間ならではの表現方法。文芸分野での応用が利きそう

といったところでしょうか。

あとちなみに、現在緩叙法の研究をされているのは関西大学の大久保先生だけなので、もしあなたが緩叙法の研究をすれば最前線の研究者になれますよ。

ただ文献がほとんどフランス語なので、読めないと死にます(死にました)。

まぁそんな感じで、私と一緒にニッチトップを目指して行きましょう。

それではまたっ。

 

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