魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

和歌と短歌とJPOP

 

lyrisist-lily.hatenablog.com

 前回に引き続き、『誰にもわからない短歌入門』を読み進めていく。

 

 

今回は歌そのものに関する考察ではなくて、『誰短』で提示されていた短歌の謎について。

 

川の水面を川が流れていくとき感情は止まらなかった 管啓次郎

 

これは『誰にもわからない短歌入門』の掲歌。だけど、本当はこれは短歌ではなくて、詩集から引用された一行詩らしい。

短歌と詩の違いについて、三上さんはこう書いている。

短歌とはなにか、短歌と短詩はどう違うのかと考えたとき、わたしは短歌の持つあの「しらべ」というか「メロディー」、『あしびきの~』とわたしたちが詠うときのあの「調子」を思い浮かべる。

『誰にもわからない短歌入門』p29(強調は筆者による)

ここでまず疑問に思ったのは「短歌って短詩型文学じゃないの?」ということ。短詩型文学の下位分類として、短歌は存在していると私は思っている。だから三上さんのこの問いは「犬と動物はどう違うのか」みたいな問いの立て方になってしまっている。

 

 だから「短歌とは何か」を明らかにするのであれば、「短歌と和歌はどう違うのか」「短歌と歌謡曲はどう違うのか」といった問いにすべきなんじゃないだろうか。

と、ここまで書いてみて思ったのが、こうした「短歌と和歌はどう違うのか」「短歌と歌謡曲はどう違うのか」といった問いに対する三上さんの答えが『歌とテクストの相克』*1だったのだろうなぁ、ということ。

なので、このエントリーでは「短歌と和歌はどう違うのか」「短歌と歌謡はどう違うのか」を整理することにしよう。

短歌と和歌の違い

明治以降に作られたのが短歌、それ以前のものが和歌、という時代によって区別されることが一番多い。短歌と和歌では形式的に何かが違う、ということはハッキリと言えないみたいだ。文語か口語か、というのも両者の区別には十分じゃない。

清家雪子さんの『月に吠えらんねえ』はそれこそ短歌が色んな紆余曲折を経て定着(と言っていいのだろうか…)していく様子を描いている。

月に吠えらんねえ(1) (アフタヌーンKC)

月に吠えらんねえ(1) (アフタヌーンKC)

 

 

短歌と歌謡の違い

「実際に口に出すかどうか」すなわち、「読む」のか「詠む」のかが短歌と歌謡を区別するのだと言えそうだ。

しかしながら誰が(どのような身分の人が)どのように口ずさんでいたのか、というのを実証する手立てはないと思う。

だけど「妥当な推論」として、藤井貞和さんの以下のような論考は受け入れられるんじゃないだろうか。こうした口承が関わってくるタイプのの文学研究は難しい。

藤井貞和(1942年~)は「歌」の起源について「うたた(転た)」「うたげ(宴)」などの言葉を手掛かりに、幻視における「うた状態」というものを仮定して次のように考えていた。

「『うた』とは、集団的にであろうと、個人的にであろうと、ふとなにかにとり憑かれ、われわれがわれわれであらぬような非理性的な気持ちになる状態に冠せられる。例えばシャーマンが、何物かにポゼスされるという状態。あるいは集団ヒステリーのような宴会の騒乱」(藤井貞和「うた、かたり――非言語的空間」『言問う薬玉』砂子屋書房、1985年 ※孫引き)。

三上春海「歌とテクストの相克」より

もともとは一つのものだった「うた」が細分化されていって、現在では「歌謡曲」「日本語ラップ」「短歌」といったジャンルが成立しているように思われる。

最近だと「恋ダンス」みたいに踊りと歌がセットになったものが流行ったけど、これってまさしく、藤井さんが言うような意味での「うた」性があったから流行ったんじゃないだろうか。個人でも集団でも、とにかく盛り上がれるなにかが、そこにあるのだと思う。

そして個人的には、JPOPにおける「うた」現象でエポックメイキングだったものが恋するフォーチュンクッキーだったんじゃないかなぁ、と思う。


【MV full】 恋するフォーチュンクッキー / AKB48[公式]

恋するフォーチュンクッキーってめちゃくちゃ流行りませんでした?

老いも若きも、会社も自治体もみんな踊っていたような。

字義通りの意味で踊らされてる…

とにかく場を盛り上げるという意味では、会場も乗れるように踊りがセットになった方が成功する、ということだ。製作側も「『踊ってみた』を投稿してください!」ってキャンペーンをよくやっているくらい、歌と踊りはPRの一種として常套化されている。

 

JPOPってカラオケが浸透しきった2000年代から「歌いやすさ」が重視されるようになったらしく、わかりやすいサビやメロディが使われるようになった、というのをどこかで聞いた。

要するに口ずさむもの、場を盛り上げる「うた」としてはJPOPの圧勝、短歌の完敗だということだ。

まとめ

しかしながら敗北は何も悪いことじゃない。「前衛的」な作風の瀬戸夏子さんの次の言葉が蘇る。

けれど私自身、負けいくさを悪いものだとはすこしも思ってはいないのである。もちろん、敗北の栄光は、しばしば文学における栄光と同義であるからだ。

特集「<前衛短歌>再考」巻頭言/瀬戸夏子 - Privatter

 

以上、今回は短歌と和歌とJPOPの違いについて整理してみた。

  • 短歌と和歌の違いは時代によるものだということ
  • 口ずさむものとしての短歌はJPOPに完敗していること 

を説明したつもりだ。

特に2点目から、

今後の短歌の可能性として詠いやすさを重視した方向へシフトすることが考えられるけれど、既存のJPOPや日本語ラップと対峙できるほどの熱量が短歌にはあるのか、ということが懸念される。

まぁこんな話はゴジラVSキングコング みたいな、ファンの妄想に過ぎないのだけど…

今後の方針

 

東アジアの短詩形文学 (アジア遊学 152)

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 海外の短詩型文学と比較してみたい。

 

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

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 HIPHOPと「うた」の違いを理解したい。

 

 

 

 

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

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  私のサブカル関係の仮説を検証したい。

 

ではでは~

いくぜトーキョー!

*1:第三十三回現代短歌評論賞を受賞した短歌に関する評論文。