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魔法使いに向いてる

円熟と技術と才能に溢れたブログです。

【追記あり】どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治癒 ゆめ(笹井宏之)

短歌

短歌における批評力を高めたい。そう思ってこのエントリーを書く。

せっかくの趣味なのだから、スキルアップしないとつまらない。

手始めに、稀風社の『誰にもわからない短歌入門』で紹介されている短歌について、一首評を書いていきたいと思う。

『誰にもわからない短歌入門』とは?

『誰にもわからない短歌入門』は稀風三上晴海、鈴木ちはねによる一首評の集積だ。

kifusha.hatenablog.com

この本で面白いのは、二人の往復書簡の形式で一首評をしているところ。たったひとつの短歌テクストを対象としているのに、それぞれ読みに特色があって面白い。

読んでいて「自分は鈴木さんの考えに近いな」みたいに、考えるきっかけになるような文章だ。

ただ、この本で注意しておきたいのが、『誰にもわからない短歌入門』は「誰にもわからない短歌」へ入門するのではなく「誰にもわからない短歌入門」なのだ、ということ。「誰にもわからない」は「短歌」ではなくて「入門」にかかっている。

もしもこの本が短歌の入門書であれば、もっとオーソドックスな短歌を紹介・鑑賞すべきだと思う。しかしながら、この本はそもそも短歌に「入門」することを目的としていない感じがする。

掲載されている歌も、どちらかといえば短歌を「破門」するようなものが多い。

この本は秀歌を体系的に学習することには全く重きを置いていないので、そのあたりを勘案して読み進めていきたい。しかしながら読み物としては面白いと思うし、掲載されている歌もユニークなものが多い。

ちなみに、短歌の入門書では岡井隆さんの『今はじめる人のための短歌入門』が一番よかった。

 どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治療 ゆめ(笹井宏之)

(正しくは「治癒」ですが、私は「治療」だと思い込んで、以下の論を進めています…)

では、一首評に移ろう。

これは『今はじめる人のための短歌入門』にも書いてあることだけど、短歌の初句に柔らかい単語を持ってきて読者がすんなり入れるようにする、というのが技巧(と言うほどでもないけど)、あるいはセオリーの一つだ。

その点で初句「どろみず」をひらがな表記にしているのはうまいなぁ、と思う。

それに「泥水」よりも「どろみず」の方がカオスで春っぽい感じ、なにかを産みだしそうなイメージがある。こういった語とイメージの関係は「共感覚」とでも言うのだろうか。

混然とした「どろみず」に泥が沈殿し、作中の「わたし」は「すきま」を発見する。その「すきま」を発見した「わたし」は次々と生を彷彿とさせる、有機的な語を連想していく。

 

後半の「すきま まばゆい いのち 治療 ゆめ」。これは一読して「しりとり」をしているだけに思えた。が、この認識は間違いだった。

「すきま まばゆい いのち 治療」まで来て、その次が「ゆめ」なのだ。

「治療」の次に、本来しりとり的には繋がらないはずの「ゆめ」が来ていることに注目したい。

「いのち」にまつわる「まばゆい」生のイメージは「治療」と一体化していて、「ゆめ」との間に残酷なほどの断絶があるように読めた。

 

治療と一体化している「いのち」と「ゆめ」。

その間に断絶がるものの、作中の「わたし」にとって、その二語は繋げなければならなかったのだろう。

後だしじゃんけんのようだけど、作者である笹井宏之さんは2009年に若くして亡くなっている。作者と作品を結び付けるのは野暮だとは思うが、それでもこの作者だからこそ、このような作品ができたのではないか、と思わずにはいられない。

笹井さんの代表歌には、ほかにこんなものがある。掲載歌と同様、語の美しい連鎖がそこにある。

 

 と、ここまで書いていたのだけれど、『誰短』の三上さんから「治療」ではなくて「治癒」ですよ、とのご指摘をいただきました(´・ω・`)

ご・・・誤謬・・・・・・。

今後はエントリーをアップする際、引用歌を再確認させていただきます。本当に申し訳ありません。

とはいえ、これは暴論なのですが、個人的に「治癒」よりも「治療」の方が断絶と飛躍があって好きです。これ、誰かに怒られたい・・・逮捕だ逮捕。

私は恣意的に読んでしまう傾向にあるので、テクストに沿って評が書けるよう、気を引き締めていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。