魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい (斉藤斎藤)

天啓、と言ってもいい。この短歌と出会ったとき、視界が一気に開けたのを覚えている。
私はその時の激しい衝動に突き動かされ、短歌を始めることになった。

冒頭に挙げた短歌は、私の叶うことのない祈りに報いをくれる歌だった。
大きな声では言えないけど、私はこれまでに何度も、シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい、と思ったことがある。
あの透き通った箱の中で上下しながら、自分をどこまでも透かしたい。
自分の駄目なところを心行くまで晒して、社会に生きるマトモな人々にすみませんごめんなさいと言いたい。

それでも社会的な生活をしていたら、そんなことは思っていても絶対に言えない。黙っておくのが賢明だろう。
人の目を気にしているうちに、「シースルー土下座願望」は報われない願望として、私の奥底に沈んでいった。
腐りかけていた衝動が、冒頭の一首との出会いで、一気に開放されたのを覚えている。
三十一の韻律によって共感と驚異が生まれ、エクスタシー、その事実に痺れた。

これが私が短歌を始めたきっかけだ。

短歌と関わっていると、それまで目を向けずにいた世界と向き合うことになる。
世界ってこんなにもカオスなんだと驚き、気持ち悪さがこみ上げてくる。
だけど、この気持ち悪さがすごく官能的で気持ちいい。カルピスを飲んだ時のおろおろみたいな感じだ。

小説『嘔吐』で、主人公は吐きそうな気持ち悪さによって、こみ上げてくる何かによって自己を認識する。たぶんその感覚に近いんだろう、今の私にとっての短歌は。