魔法使いに向いてる

「終わらない日常」 を超える処方箋

中津の高架下をめぐる冒険

明治大正の時代、日本人にとって鉄道はどのような存在だったのかを、柳田国男は次のように残している。

所謂、鉄の文化の宏大なる業績を、たゞ無差別に殺風景と評し去ることは、多数民衆の感覚を無視した話である。

例へば鉄道の如き平板でまた低調な、あらゆる地物を突き退けて進まうとして居るものでも。遠く之を望んで特殊な壮快が味はい得るのみならず、土地の人たちの無邪気なる者も、共々にこの平和の攪乱者、煤と騒音の放散者に対して、感歎の声を惜しまなかったのである。是が再び見慣れてしまふと、又どういふ気持に変るかは期し難いが、兎に角にこの島国では処々の大川を除くの外、こういふ見霞むやうな一線の光を以て、果も無く人の想像を導いて行くものは無かつたのである。

筑摩書房『定本柳田国男集』第24巻,1963,pp214

くろぐろと騒音をまき散らしつつ、走り去る汽車。

当時の人たちはちょっとわくわくしながら見ていたのだろう。

 

よくわからない「新しいなにか」が 、世の中を切り開いてくれるという希望…

そういったものを信じられることは、多分いいことだと思う。

 

でもどういう訳か、私自身はあんまりそういった類のものを持てていない気がする。

…いや、最近の暑さにただ、やられただけなのかもしれない……

できればそうであってほしい。

 

少し前に中津に行った。

大阪の中津という場所はなんとも言えず素敵な所だ。

 

ちょっとした関西の交通のハブ、梅田(≒大阪駅)から電車で一駅の所。

都心でも郊外でもない感じの、不思議な雰囲気がある。

 

最近は地下鉄の駅のまわりに小洒落たカレー屋さんとかギャラリーができたらしいのだけれど、阪急(私鉄)の駅周辺はまだまだアングラ感が残っている。

 

大阪の中心地に向かう幹線道路の、薄暗い高架下なんてなかなか素敵だ。

この前はふと思い立って、おそらく高度成長期に造られたインフラを裏側から見て、なんとなく暗い気持ちになってきた。

 

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時間は遅れてやってくる

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かれこれ3年以上前の話だ。
私は生まれ育った名古屋から大阪にやってきた。

長い長い深夜高速を抜けてターミナル。あまり寝れなかったけれど、私は夜行バスのステップを降りた。まだ5:30ぐらいだったと思う。

降り立った先には薄い霧ががかっていて、ニュータウンの無機質さを一層無意味にしていた。

こんな時間に空いている店といったらネットカフェぐらい。だけどわざわざ長距離バスで重くなった身体を引きずってまで、疲れが溜まりそうな場所へ行こうとは思えなかった。

そしてどういうわけか。私は朝風呂、という選択肢を見出した。


新しい季節に期待はしていなかった。

だからといって、不安もなかったけれど。
心は水面を映すように静かに整っていた、と言いきれると思う。


その銭湯は昔ながらの所で、阪急電車の各停に乗って、駅から10分ほど歩いた所にある。

服を脱いで浴室に入ると、天窓から気持ちよく光が差し込んでいて、静かに水面へ溶けていた。つやっとしたタイルはカルシウムが少くこびりついている。

客は私の他にお婆さんが1人か2人いたはずだけど、あまり覚えていない。


けさもう1度、同じ銭湯に行った。
当たり前のことだけど、似たような景色が広がっている。

前に比べて変わったことといえば私の頭で、すごくごちゃごちゃしていた。

自分の頭の中に、もうひとつ何か得体の知れない生き物がいるように思う。そいつが思考をぎゅんぎゅんにして、歯止めが効かなくなる。そいつは誤った判断をさせるし、私が喋りすぎるのはそいつのせいだ。

最近余計なことをすこし喋りすぎるなあ、と反省して、百会のツボをごりごり押した。

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読書の二つの目的

読書には2種類ある

本を読む目的は二種類ある。

一つは情報収集のため。もう一つは楽しみのため。

 

私はどちらにせよ、本を読むのが大好きだ。

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情報収集としての読書

今年に入ってから二度、後輩に「どうやって勉強したんですか」と聞かれた。

一度目はゼミで。二度目はインターンシップのイベントで。

 

私がマーケティングテキストマイニングの小話をしたら、

「そういう授業がない」と言われた。

 

うんうん、わかるわかる。でもな、それ私もそうなんだ。

でもな、仕事や研究で必要だから独学してるんだよ…。

 

私は勉強をすることは本を読むこととほとんど同義だと思っているから、

「どうやって勉強したんですか」と聞かれた時、きょとんとしてしまった。

 

「え、ふつーにでかい本屋とか図書館の書架にいって、面白そうな本を読んだら」というけど、なんだか納得してもらえなかった。

 

(結局、ゼミの後輩のためにテキストマイニングについてまとめた資料を作っても読んでくれてないっぽかった。そもそも勉強する気がなかったのだろうか…)

「夏」「植物」「花」などがテーマのフリー写真画像:IMG_2908.JPG

良書をまとめる意義

しかしながら、良書をまとめることには意義があると思っている。

 

というのも、私のモットー「相手ためになる事をする」というのがあって

 

オススメ本をまとめる≒相手の本を選ぶ手間を省くこと≒相手の為になる

という図式があるからだ。

 

これまで人文学系の良書とネタ収集に役立つ本をまとめている。

lyrisist-lily.hatenablog.com

 

lyrisist-lily.hatenablog.com

 今度も自分が読んでよかった本については、まとめて紹介したいと思う。

それには、何らかのテーマを設定する必要があるのだけど…

アラブ文学、テキストマイニングマーケティングあたりはまとめると思う。

 

もうひとつの読書

情報を収集するための読書ではなくて、「楽しみの読書」というのも存在すると思っている。誤解を恐れずに言えば、漫画やゲームを楽しむように本を読むのだ。

 

日本はどうしてなかなか、こうした文化はすごく発達している。

文化という概念は曖昧だから市場規模でみようか。

 

国内市場規模でいえば家庭用ゲーム機で1532億円、漫画で4570億円。

スマホゲームや海外市場を含めるともっとすごいことになり、

どっかの国家予算は軽く超える。二次元の世界で国家が作れるんじゃないか。

 

市場規模、というのはわかりやすい尺度だ。

人の欲望を換金して、比較することができる。

 

これだけ人々が渇望する物語を提供し続けることは、

素直に本当にすごいと思う。

 

残念ながら私は「何度でも読み返したい」と思える漫画や「ここから人生を学べる」と思えるゲームと出会ったことがない。

 

だけどきっと、そういう漫画やゲームはこの世に存在しているのだろうし、

そうでなければここまで人々が欲望しないはずだ。

 

ちなみに歌人の黒瀬さんはそうした空想世界を美しく切り取っていて、

私の知らない世界への憧憬を掻き立てる。

今日もまた渚カヲルが凍蝶の愛を語りに来る春である(黒瀬珂瀾*1

 

 

lyrisist-lily.hatenablog.com

カロンとしての詩

多くの人にとって、詩を読む機会ってほとんどないんじゃないだろうか。

だけど美しい文章を読むことは美しい風景を見る事、素敵なものを口にすることと同じくらい価値があると思う。

 

というか私は詩はマカロンだと思っている。

 

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カロンはいくら食べてもお腹はふくれないし、言ってみれば卵白と砂糖の塊でしかない。だけど、ひとつ口にすると人生に希望が持てるというか、自分が素敵な存在になったような気分になれる。

これと詩も同じで、読んでいると明日も生きて行こうという気持ちや「美しさに目を向けよう」という気力が湧いてくる。

 

読み過ぎることができない詩

ちなみに私は昨年の夏、現代詩文庫を読破しようと図書館に籠っていたことがある。

しかしながら現代詩のアナーキーな文法や単語を浴びすぎて、自分の日本語の運用能力が危ぶまれるようになった。だからこの試みは中止した。

やはり詩は少しずつ読むのがいいと思うし、好きなものを繰り返し読んだ方が「味わい方」がわかってくる。

詩はほとんどが短編なので「寝る前に少しだけ読む」ということができるし、いい精神安定剤になる(こともある)。

 

石川啄木の『一握の砂・悲しい玩具』で眠りの中へ

私は浪人生の頃、不安で眠れない時に石川啄木の『一握の砂・悲しい玩具』を読んでいた。

波に揺れるような七五調が、私をどこか遠い所に連れて行ってくれるような感じがして、読んでいるうちにすっと眠りにつけたのだ。

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

そういうわけで、私が好きな詩について、今週は更新していこうと思う。

もう一週間の折り返しだけど、これから巻き返すよ。

 

 

*1:凍蝶…寒さのため凍てついたようになる蝶のこと。飛んでも鈍く、ほ
とんどは動かない。哀れさという点では「冬の蝶」より差し迫
った感じがある。

季語・凍蝶

猫の死を、見たことがない

猫の死を見たことがない。

私は小さい頃から2匹の猫を飼っていた。
人間の友達よりも先に猫が友達だった。

だけど2匹とも私が知らないところで息を引き取り、それぞれ霊園に連れられたと聞いている。

だから私は、生きている猫についてはよく知っていても、猫の死についてはほとんど何も知らない


どこかでこんなことを聞いた。
「どれだけ可愛がった猫も、独りでひっそりと死ぬ」と。

だけどそれって、誰も猫の死について何も知らないってことないんじゃないかと思う。

そもそも猫の死、というものが存在するかも疑わしい


今日は朝に寝て昼過ぎに起きたのだけど、寝不足で頭がぐらぐらしていた。

読みたい本があったので少し大きい本屋に行こうと歩いていると、ふと猫の死に関する仮説が湧き上がってきた。

猫は死の予感がすると、
森の奥深くにいって、そのまま透明な存在になる。

だって、あんなにも可愛い存在が無になるなんて、考えられないじゃないか。

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「言語の科学」とはなにか

今週のお題「テスト」

 

一度受験で失敗してから、こつこつ勉強するようになった。

…というのは間違いかもしれない。

 

大学生になって、人生をかけて追究したいと思うことに出会えたから、勉強するようになったような気もする。

 

今日は自分の専攻である言語学について、書いてみよう。

言葉というのは不思議で、「どうしてそうなっているのか」を知らなくても使うことができる。ちょうど電子レンジの仕組みがわからなくても、お惣菜を温められるように。

 でも、思ったように言葉が使えない経験がある人、言葉が透明なものではなくて、なんらかの壁として感じられる人にとって、言語学はすごく面白いと思う。

以下、言語学とは何かについて、メモを残しておく。

 

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言語学とはなにか

言語学とは、言語に関する科学的研究だ。

ここで問題になる、「科学」について、少し説明しよう。

 

ここでいう「科学」とは近代科学のことで、主に西欧で19世紀までに完成された方法論、あるいは複数の「科学者」といわれる人間の集団の営みの一つを指している。

岩波講座 言語の科学〈1〉言語の科学入門p129

 

同著では「科学」の成立過程について、力学を例に挙げている。

紀元前、アリストテレスは「物体は力を与え続けないと運動を停止する」という一般化を行った。これは一見すると正しい主張だが、この一般化は摩擦のある面上において成立する。

16、17世紀にガリレオは「力が働かない限り物体は現在の運動を続けようとする」慣性の法則を打ち出し、それを1世紀後、ニュートンが一般的な運動方程式に落とし込んだ。

 

このように力学の成立過程では、何人かの天才の発見が不可欠だ。

しかしながら後の時代の人間は、たとえ天才でなくてもこれらの理論を学び、理解することができる。

ここに「科学」の本質的な特徴がある。

 

科学のもつ、このような特徴を分解してみると次のような性質が出てくる。

客観性…科学の対象・方法は特定の人間に依存する部分が小さい

再現性…科学の結果は特定の時間・空間に依存する部分が小さい

普遍性…科学の結果・方法は特定の地域に依存する部分が小さい

 

(同上)p130

 

こうした特徴を持っているからこそ、科学には蓄積性(accumulativity)がある。私のような天才でない人間でも先人の業績を継承し、山を築き上げることができる。

 

逆に言うとエセ社会学のようなエンタメ学問の「エセ」たる所以は蓄積性の無さにある。

そういったエンタメ学問の「筆者独自の観点」「現代社会を斬る」といった煽り文は、上記のような累積性の無さを自ら主張するようなものだ。

 

「スマートフォンとタブレットのある生活スマートフォンとタブレットのある生活」のフリー写真素材を拡大

対象について

では言語学の対象となる「言語」とは、何を指すのだろうか。

大学生との飲み会で、自己紹介で「言語学を勉強してる」と言うと、だいたい次のような反応を受ける。

シュリーマンみたいなことをやってる」「日本語のルーツを探っている」「色んな外国語を知ってる」…言っておくけど、それはものすごい偏見だ。

 

自分が興味を持っているのは「言語がどのように理解されているのか」に関する仮説の検証で、受け手の印象に残るレトリックとは何か、という研究だ。

 

でもこれはこれでかなり特異な研究なので、

 

もう少し広い範囲で言語研究の対象について見ていこう。

先ほどの科学の定義において、対象と方法と結果というファクターが大切だった。

以下は言語学が取り扱う対象について見ていきたい。

「洋書の本棚洋書の本棚」のフリー写真素材を拡大

 

言語の定義:言語の一般的特徴

 

日本語にも英語にもアラビア語にも当てはまる言語の特徴

というものを挙げていく。

 

 

 

(1)言語は記号である

「りんご」と聞いて赤い果実を思い浮かべることができるが、その果実と「りんご」という音声は何にも関係がない。誰かがあの果実を「りんご」と呼んだから、あれは「りんご」と呼ばれるようになった。

もともと「りんご」とりんごには何の関係がない。

「りんご」という音声が指す対象と「りんご」という音声に関係がないことを「記号」と言える。(仮)

 

(2)言語は音声に基礎を置いた記号である

先ほどの項で「林檎」という音声と赤い果実に関係がない、ということを指摘したけど、手話のように音声がなくてもジェスチャーでりんごを指示することはできる。

あるいは、目の前にあるりんごを指で示すことで「林檎」を示すことだってできる。

このような音声を用いない、身体的な表現も言語に含まれる。

(3)言語は超越性を持つ

先の項で”目の前にあるりんごを指で示すことで「林檎」を示すことだってできる。”と書いたけれど、私たちは目の前に林檎がなかったとしても、「机の上に昨日は林檎があった」と言うことができる。

このように、言語を用いることで過去や未来について語ることができる。

 

蜂のダンスが有名な例かもしれない。

蜂が密を捜して飛び立って、花を見つけると

巣に帰ってダンスをし、仲間に花の在処を示す。

 

これも「超越性」という観点からすると、言語のように感じられるけれど実際はどうなのだろう?

 

(4)言語は創造性を持つ

「蜂のダンスは言語ではない」と言えるのは、言語の創造性と体系性による。

蜂は蜜というインプットがないとダンスをしない。

これは刺激がないと反応しない、ということで、

人間が用いる言語とは、その性質を異にしている。

 

麒麟」のような実在しない存在を創造すること

「孫が全員医者と結婚したおばあちゃん」のような、存在するかもしれないけれど、遭遇したことはないものについて表現できるのは、言語のひとつの特徴だ。

 

(5)言語は構造を持った記号体系である

「構造」というのは、「結びつきについて一定の規則がある」ということだ。

日本語でいえば「ん」で始まる単語はない、とか。

 

日本語で「太郎は花子に本をやった」も「太郎は本を花子にやった」も言えるけど

英語で「Taro gave Hanako a book.」は言えても「Taro a book to Hanako gave」は言えないのはなぜか、とか。

 

前の例だと単語を形成する規則、後の例だと文を形成する規則

といったような、形成に関する規則のことを構造と呼ぶ。

 

蜂のダンスはやり方が決まっていて「俺はHIP HOP流でいくぜ」みたいな

新しい「踊り方」ができるわけではない。だから創造性がなく、したがって言語でもない。

 

(6)言語記号は恣意的である

「進捗だめです」を「ニャオス」と表すことに、必然性がない。

 

(出典:めしにしましょう(1) (イブニングコミックス)

 

 

こんな風に言語を規定していくと、

辞書を作る作業やシュリーマンみたいな作業が言語学ではない、というのはわかってくると思う。

それでも結局、本には「かっちり系」のものと「ゆるふわ系」のものがあって、

ここに書いたことは前者なので、あまり読みたい人が出てこないと思う。

 

それでも私は研究をやりたいと思う人間の端くれで、知識をアウトプットしないと身につかないからこのようなエントリーを書いてみた。

今後もがんばるぞー

適切な言葉

「言葉は力だ」。

たしか国語の問題集の"まえがき"にこう書いてあった。

言葉の効力、というのはすごい。

疲れて動けない時、
それでも動こうと思えるのは
大切な人からの言葉が、私を励ましてくれる時。


この文章だって、書いたところで誰が読むねんってのは頭をかすめるけれど、

それでも自分の文章を好きだと言ってくれる人のことを思うと、書き続けようと思える。

なんでだろうな、不思議だ。



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誰もがこういう人間じゃないことは分かってる。
「言葉のあや」を味わずに死ぬ人だって、きっと沢山いる。

そういう人のこともちゃんと認めたい。
全員が詩人になったら、たぶん世の中は回らない。

それでも自分が好きなこと/ものをちゃんと知っておくのは大事で

私は嬉しい言葉を思い出すと、ただそれだけで嬉しくなる。キザというより単純なんだ。
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疲れ果ててベッドで横になっている時、
少し手を伸ばせば届く距離に
素敵な言葉があってほしい。


これまで貰った手紙に
いちまいずつワイヤーを通して、
天井から吊るしてみようかな。

疲れ果てたら読み返すんだ。